日本の風景
洛友会会報 200号


日本の風景

古賀隆治 (昭和42年卒)

 少子化が話題に上っており、我々の老後が心配です。私はこの4年間、岡山大学の留学生センター長を努めてきました。そこでは留学生を受け入れることの他に、留学生の受け入れと派遣に関する予測・企画も一つの仕事です。日本の将来推計人口を調べてみると、2050年頃には労働者人口が現在の60%にまで下落するとあり、しかもそれはこれから毎年5万人ずつの外国人入国超過数を勘定に入れたうえであるとのことです。この推移は極東の政治事情とそれに伴う日本政府の外国人受け入れ政策によって大きく左右されるはずで、この推計はかなり控えめなものと私は思いました。
 いろいろと不確定な要素がありますが、要するにそのころは、町中右を見ても左を見ても元気なのは外国人労働者ばかり、という風景が目に入るでしょう。何のことはない、現在の米国、ヨーロッパ諸国の情景そのものです。
 仕事場ばかりでなく、生活の場にも新しく来日した人々がやってきます。これまで住んでいた老齢の日本人家庭が消え、代わりに外国人が入居してきます。最近こんなことを経験しました。中国から来た留学生を連れて学内を案内していたとき、彼は建物の玄関の真ん前に自転車を止めようとしました。習慣が違うからと思って、「そこに止めたら他の人が通れなくなるから脇に置きなさい」、と私は言いました。彼は怪訝な顔をして、「何処にそうしなさいと書いてありますか?」というのです。決して不真面目にではなく、真剣に聞いていました。日本人にとってはそれは「言うまでもない」当たり前のことですが、中国では土地土地で気象も社会事情も違うので、いちいち命令が明示され、しかもそれに従わなければ即座に「罰金:ファークァン」が普通なのです。彼の目には何とも判りにくい、不明朗な社会と写ったことでしょう。
 文化・文明の違う国から来て、そこで生活しようとするにはこのような障壁を乗り越える必要があります。この障壁をそのままにしておいては、また彼らにとっても魅力有る職場と生活の場とは見えず、ひいては優秀な人々を引きつける魅力を与えないことになり、結局は、我々老齢化社会が彼らの力を借りて存続することが困難になります。
 日本の社会と文化は、確かにこの1500年ほどは世界から孤立して発達し、全く独自のものを作り上げたように見えます。しかし、よく考えれば、我々が使う言葉、文字、概念のほとんどが大陸より渡来したものであることは確かで、しかも我々の血そのものの中にも比較的最近に大陸より伝わったものが多いと推測されています。
 今や、日本に住む人間集団が1500年の時を超えて再び大陸との混交を開始しようとしています。このような時期を間近にして、我々は大急ぎで準備が必要です。日本の社会構造を調整して、渡来した外国人が容易になじめるルールの作成が必要です。日本人の意識もこれにあわせて変える必要があります。例えば、「無言の了解は決して金ではなくあくまでも主張は明示的に言葉で発せられねばならない」という風に、今までの日本の常識を変える必要があります。耐え難くても耐えねばなりません。日本語自身も多少改変する必要が出てくるでしょう。あるいは自然発生的な変化を容認せねばならないでしょう。過去にも、大陸からの大量の人口流入に伴って日本語の中に関西弁という異質な言語が発生しました。これが良い例と思います。
 それと、渡来したばかりの外国人に、「日本の社会は尊重すべきで、軽々しくは損壊してはならないものである」ことを直感的に理解してもらうためには町の景観を整える必要があるでしょう。町中が蜘蛛の巣のような電線に埋もれているようでは話になりません。今ちょうどブロードバンド革命の真っ最中ですがこの機を逃さず電線の地中化を進めてほしいものです。これは我々電気屋の仕事です。

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