京都大学における研究と教育
 ―退官に当たって
洛友会会報 201号


京都大学における研究と教育―退官に当たって

松波 弘之

 昭和33(1958)年京都大学工学部電子工学科入学、昭和39(1964)年修士課程修了後、助手に採用されてから39年が経過しました。この間、半導体材料工学の研究に従事し、講義を担当させていただきました。このたび、京都大学退官に当たり、機会を得ましたので、研究・教育、思い、将来のことなどを書かせていただきます。

1.大学教官としての出発
卒業研究は田中研究室で、「半導体pn接合を用いた電界効果トランジスタ」の試作に成功しました。修士課程では、自ら研究テーマを作る雰囲気の中で、当時の流れであった化合物半導体新材料の研究を始めましたが、大きな壁にぶち当たりました。そのような折り(1964年1月)、田中哲郎先生から助手に着任しないかとの、まさに「青天の霹靂」のお話があり、相当迷いましたが、挑戦のつもりでお受けしました。当時、半導体研究のスタッフはほぼゼロであり、修士課程修了後すぐの助手に研究をリードできるはずもなく、研究室として手探りの状態が続きました。加えて、研究費関連の書類や装置のメンテナンスなど、スタッフとしての仕事は予想外に多く、自分の研究の進展も滞りがちの状況でした。昭和45(1970)年に「Cdを含むU-X化合物半導体の研究」で博士学位論文をまとめました。新しい半導体材料内での電子の輸送現象に関するもので、これを通じて「半導体研究」の姿勢や方法論を身につけました。この経験から、「研究」とは「自己満足と自己嫌悪の繰り返し」と認識するようになりました。

2.テーマ選択ー半導体シリコンカーバイド(SiC)
 新しい研究テーマとして、電子の輸送だけでなく、エネルギー準位間を遷移する物理現象、すなわち、ルミネセンス(蛍光)に関連する材料の研究を始めたいと思いました。当時、可視発光ダイオードとして、赤色から緑色領域は実現されていましたので、青色発光の可能性のあるワイドギャップ半導体SiCを取り上げることにしました。これは、p型、n型が容易に形成される可能性があるからです。「SiCの研究は結晶成長から」ということで、(1)比較的短期間で成果の出そうな青色発光ダイオードのための「液相エピタキシー」、(2)長期間を必要とするが、電子デバイス応用を考えての「気相エピタキシー」、の二本立てで進めることにしました。幸い、1970年に田中先生の筆頭名で科学研究費「一般A」を受けることができ、(1)の研究進展に必要な装置類を購入することができました。(2)については、研究室の古い装置を流用してすでに研究を始めていました。

3.研究テーマ設定
 研究室として幅広い半導体研究をすることや研究費確保のことを考えて、研究テーマにはつぎのような3つのカテゴリーを取り上げました。
(1)academic topic(研究費確保のため):太陽電池、アモルファスSiなど、(2)current technologyの基礎(産業界との接点で基礎的要素技術関連):半導体Siの周辺技術、励起プロセスなど、(3)独自テーマ(将来への布石):シリコンカーバイド。
研究分野は一口で言えば「半導体材料工学」と言えましょう。結晶成長・プロセス・評価・デバイスの提示と、「縦」の流れを追求するもので、このような研究分野があるのではなく、自ら名前を付けたものです。具体的には、(1)アモルファス半導体、(2)太陽電池と材料、(3)V-X族半導体、(4)強誘電体PLZT薄膜、(5)励起状態活用材料プロセス(プラズマ、光)、(6)極薄シリコン酸化膜、(7)シリコンカーバイドなどです。

4.コースの区別:
 各課程で以下のようなコースの認識をもって臨み、学生達に評価基準を伝えてきました。
(1)卒業研究(20ページ):卒業論文を期限内に仕上げ、完遂感を味わう。この期間は、それまでの「受け身」の姿勢から「能動」の姿勢への転換期であり、大きな意味がある。
(2)修士論文(40ページ):テーマ設定は教官との議論で決まるので、出口は明確になっている。学生は、その出口へ向けての「ルート開拓」を経験し、あちこちでぶつかりながら出口までたどり着く。processが重視され、成果が出れば大いに喜べばよい。
(3)博士論文(100ページ以上):修士課程でルート開拓法は身につけているので、ここで重視されることは、「テーマ設定能力」である。学位論文をまとめることによって、どのような研究に意味があるかを判断できる能力が備われば、課程博士は完成と見てよい。投稿論文を書くことによってrefereeとのやりとりなどを経験することが必要である。
(4)論文博士(100ページ以上の集大成):内容にphilosophyが欲しい。「科学」あるいは「技術」のいずれでもよいが、斯界へ寄与している度合いを計ることになる。数編以上の投稿論文が要求されるが、学位論文が一つの作品であり、ユニークさが必要である。

5.研究費
 若い頃はいわゆる外部資金である研究費をどのようにすれば取得できるかに腐心しました。timingよく科学研究費が取得できると、新しい装置が入手でき、それまでとは違う飛躍的な成果が出ることにつながりますが、逆の場合は閉塞状態に陥ります。審査を経験してから、申請題目に留意することが大切であることを痛感しました。科学研究費(一般、試験、特定、重点etc.)、概算要求特別設備(1994)、基盤充実(1994)、VBL(Venture Business Laboratory:1996)、特別推進研究(1997〜2001)、未来研究・フィージビリティスタディ(2000〜2001)など大型の研究費を受け、各種の研究助成金、産業界からの受託研究や奨学寄付金など、多くの支援を得ました。

6.講義への姿勢
 在任中に担当した科目は、「物性・デバイス基礎論」(2回生)、「半導体工学」(3回生)、「半導体工学特論」(大学院、前期)、「電子材料学特論」(大学院、後期)です。このほかに、「電気電子材料概論(分担)」、実験、研修のほか、工学研究科の「新工業素材論(分担:英語)」などがあります。講義をすることは好きでしたが、定期試験は、結果を見てがっくりすることが多く、やや自己嫌悪を感じました。もちろん、完璧な答案もありました。

7.シリコンカーバイドの研究
 半導体SiCに出会ったのは、世界でこの研究がstopしかけた時期でした。すばらしい特性を持つのに、結晶成長が困難であるために、主流から離れた半導体であることが、私を魅せました。困難であれば挑戦の仕甲斐があるのはないかと勝手な考えの基に、研究室の皆さんに理解を貰いながら、進めさせていただきました。それから35年が経ちます。当初は手探りでしたが、勢いのある若手と議論を重ね、一歩一歩進めて来たように思います。青色発光ダイオードから始めて、Si上の3C-SiCヘテロエピタキシャル成長、3C-SiC反転型MOSトランジスタ、ステップ制御エピタキシャル成長、ショットキーダイオード、4H-SiC反転型MOSトランジスタの移動度向上など、節目、節目でたいへんおもしろい研究をさせていただき、世界へ向けて情報の発信ができました。
ステップ制御による高品質エピタキシャル成長技術を確立した頃(1986〜87年)から、この材料に対する確信が持てるようになりました。基板メーカーが誕生し、現在、世界がSiCパワーデバイスの性能向上を目指す研究・開発を展開しています。低損失・高速のショットキーダイオードがInfineon社(ドイツ)から市販され、スイッチング用トランジスタも近いうちに世の中に出てくるところまで来ました。
研究室では、初期の頃から高品質エピタキシャル成長技術を確立しましたので、世界の研究者たちの羨望を得ました。アメリカ合衆国、ドイツの大学研究者と共同研究を展開し、経済産業省の国プロジェクトへも直接、間接に関与させていただきました。これに関連して、IEEE、電子情報通信学会からFellow称号をまた、文部科学大臣賞、第1回山崎貞一賞をいただきました。研究面で長年関わってきました半導体SiC技術が大きく展開しようとしています。これまでに考えてきた将来への思いを書かせていただきます。
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[SiCワールドの夢]
 SiCはエネルギーギャップが3 eV以上で、シリコン(Si)の約3倍大きい。これに伴って、絶縁破壊電界が約1桁大きいので、Siデバイスに比べて寸法が1桁小さくできる。扱える電流密度も大きくできるので、小型化ができる。使いやすいMOSFETの場合、電力変換時に熱損失をもたらす「固有オン抵抗」は絶縁破壊電界の3乗に反比例するので、SiCを用いるとSiの固有オン抵抗の2桁半ほど小さくて済む。特に高耐圧になるほどその差が大きく現れる。また、熱伝導率がSiの3倍ほど大きいので、熱放散がよく、SiCパワーデバイスは機器の冷却が簡単化される。小型、低損失、高効率で、冷却が簡易化されるということでその将来が大いに期待されている。
 現在、SiCのショットキーダイオードが市販されるようになった。スイッチング用の各種トランジスタの研究・開発が盛んに行われている。あと数年でトランジスタも市販されるようになるであろう。いずれも当初は小面積で電力容量は小さいが、直径3インチの基板が市販される段階にきているので、中容量、大容量の電力変換用パワーデバイス開発への基盤は整ったといえる。
 各種の電気・電子装置、家電品、産業用機器、非常用電源、列車、高電圧直流送電など、パワーエレクトロニクスの応用分野はたいへん広い。これらの分野に、SiCを用いた小型、高効率、簡易冷却の半導体パワーデバイスが使われれば、電気エネルギーの有効利用が著しく期待できる。電気エネルギーを熱エネルギーとして放散することが少なくなれば、現有の発送配電システムにおいても十ぶんの電力余剰が生まれ、それだけで新規産業創成が可能となる(高効率半導体パワーデバイスが実現すれば、それによるエネルギーの有効利用分は国内において数百万kWに達するとの試算もある)。新規発電所の開発がなくなれば、そおれに伴って、環境への負荷が小さくなることは言うまでもない。
 自動車のスタイルが大いに変わるであろう。石油埋蔵量、ならびに環境への負荷低減の課題からモータ駆動が注目され、エンジンとモータ共用や燃料電池によるモータ駆動など、すでに実用の域に入った。限られた場所、高温部の存在、電池の長時間利用などを考えると、この分野でのパワー半導体には大きな変革が期待される。SiCデバイスを中核とする新しいパワーエレクトロニクスはまさにこの分野に最適である。
 通信分野では、携帯電話の世代推移に伴って、大容量・高速無線信号伝送が必要となり、新たな基地局開設が進んでいる。この分野では、高周波領域での高出力発振器の小型化が強く望まれており、ここでも半導体SiCの展開が期待されている。
 電気エネルギーを有効に利用することを通して、エネルギー使用を節減し、環境への負荷を低減して持続ある発展を遂げる技術をパワーテクノロジーと名付けたい。そこでの主役は半導体SiCである。どこでも、誰でも、いつでも高品質のパワーユニットが活用できる時代が来れば、まさにSiCワールドと言える。
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8.謝意
 京都大学における研究・教育活動は、電気系教室の方々に負うところが大きく、特に、電子物性工学専攻の先生方にはいろんな面でお世話になりました。研究面の進捗は研究室のスタッフに負っており、長年の支援に対して厚く感謝します。学生の皆さんとは、研究進捗、成果のまとめ、論文執筆などを通していろいろな議論を続けました。学生の展開する新しい分野は私の守備範囲を広げることに有用であることを強く認識しました。数多くの論文博士のお世話をさせていただきましたが、研究室では取り扱えない内容を勉強できると言う点で大いに意義がありました。外部の支援者に対してもお礼を申し上げます。特に、先が見えない頃のSiC研究に対して、じっくりと支援を続けて下さった方々への感謝は尽きません。皆様、ありがとうございました。

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