本当に必要な物?
高山訓治(昭62年卒)
「あなたにとって本当に必要な物は何ですか?」こう聞かれると、何を思い浮かべるでしょうか。家族、友人、がまず真っ先に思い浮かぶかもしれません。そして、空気、水、食料、など生命維持に必要な物とか、現実的に、冷蔵庫、洗濯機、衣服、寝具、そして、お金のような生活必需品、あるいは、趣味に関係するもの、あるいは、夢や希望とかが挙げられるかもしれません。
そう考えてみると、それ以外のただ何となくあるものが身の回りには何と多いことか…。戦後の成長社会では、物が無かったので、生活必需品がどんどんと開発・生産されたと思います。これらはまずは最低限の機能がいかに低価格で提供できるかが問題で小品種大量生産することで製造業は成り立っていたように思います。しかし、今日、社会は成熟し、生活必需品はほとんどすべての家庭に揃いました。そこで、製品は多機能とか高性能の方に向かい、多品種少量生産になってきたように思います。
そのような方式の一つとして製品のサイクルを数ヶ月とかの短いサイクルで変えていく方式も含まれるでしょう。製品が多機能や高性能になればなるほど、開発も複雑で工数もコストも掛かるはずです。これを短いサイクルで回すとなるとそれはもう大変です。過酷なスケジュール、書類の山、メールの嵐、…、そして、…、その結果、ふと振り返ってみると、社会に溢れる物、…。
最近、シンプルな生活に憧れているという話をよく聞きます。キャンプに行ってみたんだが、生活に必要な物が自分のバッグ1つに全部入っていることに改めて考えさせられた、とか。田舎暮らしに憧れているんです、とか。たぶんシンプルさの裏では自然という偉大な物が手助けしているんだと思います。社会主義が崩壊して、資
本主義は十分うまく行っているとは言えないと思いますが、まだ何とかやっていっています。人間は貪欲な生き物なので、資本主義のようにどこかに成長していく方向がないと駄目になっていくのかもしれません。田舎暮らしでもたぶん何か力を注いでいける方向が必要な気がします。
これからの社会はどうなっていくのでしょうか。不景気な中でも、趣味関係の物やブランド品は売れているように思います。音楽、映画、写真、絵画、といった芸術や、茶道、華道、武道、といった道を極めるものは盛です。一方、物を大量に生産して儲ける仕組みはもう限界なような気がしてきています。物質社会から徐々に精神社会に移ってきているのかもしれません。ハードからソフトへ、そしてさらに、サービスへ、とか、リサイクル、とか、あるいは、良い物を長く使っても儲かる仕組みが必要な気がします。
伝統工芸品のように愛着を持って長く使える製品、また、そのような製品を技を持って創作できる職人、そして、おもちゃのお医者さんのように製品を大事に直せる仕組み、こういうことを考え直してみれば、と最近思っています。本当に大事な物は何と聞かれたときに、思い浮かぶようなそんな物作り、皆さんは如何でしょうか。
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