IT研究の進め方について
洛友会会報 203号


IT研究の進め方について

岡本 英二(平5年卒)

 通信をはじめとするIT(Information Technology)分野の進歩は速い。例えばユーザの視点から見ると、DSL(Digital Subscriber Line)に代表される加入者アクセスの発展には目覚しいものがあり、ほんの数年前に家庭で定額インターネットが実現できると驚いていたらあっという間にそれが当たり前になり、現在は10Mbpsも超えてしまった。ユーザとしては非常に喜ばしいことであるが、片や研究開発の側に立つとそれだけサービス、技術の進展が速いということである。通信分野に身を置く平凡な一研究者の私はこのような流れにおいてしばしば技術の進歩について行くだけで必死になり、何を深く追求し、何を割り切って表面上の理解に留めておくもしくは切り離してもよいのか迷うことがある。例えば無線LAN(Local Area Network)のユーザ認証方式の改良に取り組むときは乱暴にいえばマクスウェル方程式は不要なのであり、むしろ意識を電磁界まで辿ることが悪いことであるかの様な状況に多々出くわす。もちろんこれは1秒を争う開発競争の下においては正しく、効率的な業務推進のためにはあまり的外れなことは言うべきではない。するとこの場合電磁気学からの思考は切り捨てるべきということになる。しかし前述のように流行技術の変化、興廃の速い昨今において、私は1つの技術のある側面のみに没頭していくことにはどうしても不安をぬぐうことができずにいた。なぜならその技術が主流を外れたり開発が一段落したときに、次に何をしたらよいのか、何ができるのか分からなくなりそうだからである。
 さて、私は幸い卒業後も本学の先生方とお話をさせていただいたりご指導を賜る機会をいただいたりしているのだが、最近先生方が過去にご発言された将来に関する言及が全て当たっておられることに気づいた。しかもその主旨は一定でありながら、時代や技術の流行を先取りするご発言をされている。この、次々に現れる流行技術に振り回されて右往左往する私との違いは何であろうか?私見では、私に足りないものは基礎的な学問分野に対する理解の深さと知識の量である(以下基礎学問という)。先に述べたようにこれらは一見即戦力を求められる場において不要なものと考えられがちであるが、基礎学問の理解が不足すると視野が狭くなり、物事を一面からしか捉えることができず結果として技術の変化の速さについていけなくなってしまう。逆に基礎学問の理解が深まると、突然出てくる技術に対してもその背景の分析が容易に行えるため位置付けを正しく把握することができる。するとその技術の利点や欠点、特色、流行の要因、影響規模、場合によっては政治的な背景、その技術の行き先や限界までが分かるので、その技術は自分の中でどう解釈すべきか、今どう取り組むべきかが見えてくる。例えていえば深い根と太い幹を持てば風が強くても木は揺れず、安定した視点から遠くが見渡せるようになるのである。従って、「変化の速い技術分野に身を置く場合こそ基礎学問の習得を怠ってはならない」、という結論に達した。
 これはこのように文字に記すと当たり前の話であるが、目先の仕事に追われるとこの原則を忘れがちである。なぜなら昨今では技術の本質を理解することより、内容を理解していなくても流行りのキーワードを散りばめた書類を短時間で書けることの方が重宝されるからである。そのような環境下にいると、無線LANが電磁界振動により実現されていると思いを巡らせて電磁気学を復習することより、上辺を理解した技術キーワードをより多く獲得することの方が当然ながら優れた戦略だと判断してしまう。そしてそれは短期的に見れば誤りでない場合が多い。また、基礎と即戦力は本当は相乗効果を生み出す2要素であるのにもかかわらず相反するもののように受け取られがちで、しかも私のような凡人は基礎学問の習得に時間が掛かるため、基礎学習は必ずしも職場で理解を得られるわけではない。私はこの点で自分の姿勢に自信を無くし右往左往していたようである。
 しかし社会人として何事にもバランスを崩してはいけない。そこで私は日々の業務は怠らず与えられた研究開発をしっかりと行う、つまり流行技術を一生懸命に追いかけつつも、少なくとも基礎学問習得に対する意欲だけは決して失わないように心がけることにした。すると相変わらず技術の背景や今後の展望についてはよく分からないことが多いものの、どの基礎分野を勉強したらこの技術に関して視野が広がるかということを考えるようになり、自分の不足点と自分なりの課題が見つかるようになった。もう少し基礎学力が向上すると、取り組んでいる技術の展望と次どうするべきかが明らかになるのではないかと予想している。基礎学問に取り組める時間は決して多くないが、これからも勉強は続けていきたいと思う。
 IT分野の進歩は果てしないように見え、それが人間にとって本当に幸せかどうかは別にして、いつでもどこでもだれとでもコミュニケートできる世界は目の前であるように思える。一研究者として、目まぐるしく変わる技術を目の当たりにできる喜びを感じつつ、何か自分もそれに貢献できるようにと努力を続けたいと思う。とはいえ今日もノルム空間の定義をまたもや忘れ、これで何度目であろうか、教科書を紐解く日々である。

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