卒業40周年記念同窓会
我々昭和39年に卒業したものは今年で卒後40周年になる。TVでも東京オリンピック40周年行事を報じていたが 当に卒業した年に新幹線ができ名神高速が開通したのだ。電気総合館が竣工したのも4回生の時だった。今サンデー毎日族がどんどん増えている。量の充足を追い求めた時代から大きな転換期にあることを痛感する。
京都周辺に在住するものが中心となり1年以上前から計画していたがやはり場所は京都。創立百周年記念で改装なった時計台下の国際交流ホールで開催を希望し秋季で唯一空いていた10月9日(土)に決定。14時電気総合館前に集合して吉田山散策、京大博物館見学後 電気総合館で「学」の英保君の「京大の現況と研究生活」、「余技」の絵でプロ級の佐藤君の「スケッチで楽しむ世界の旅」、「趣味」の丹羽君の「珈琲とWEB」と3氏の卓話の後懇親会を計画した。10日は気象上では「好天」の特異日でオリンピックの開会式が行われたことから期待していたが台風が来た。出席予定者54名中関東から来るのが35名。幹事連は大いに気を揉んだが中央道を選ぶ者前日から来るものもあり結局7名の欠席。出席中家が床上浸水にあった者もいた由。86名中物故者5名。居所不明者4名を考えると70%の出席率になった。3氏の卓話はいずれも非常に興味深く好評。懇親会は近藤先生が体調を崩され急にご欠席になったが学年主任だった池上先生のご臨席を得て定刻に開催。物故者への黙祷、39京電会の規約・役員(とりあえず留任)を決定後、池上先生の乾杯の音頭で開会。広々とした赤い絨緞の新しい会場は皆初めてのことで雰囲気もよく卒業以来の顔もあり話も弾み和気藹々のうちに雨で登れなかった「紅燃ゆる吉田山」を歌って散会。26名が泊まった京都駅前のエルイン京都で35名出席の2次会。予期したよりも遥かに少なかった酒量が年齢を感じさせた。
翌10日はやはり快晴。ゴルフ組は瀬田ゴルフで20名5組:林、砂原両君が同ネットだったが砂原君は初参加だったので林君の優勝。観光組10名は住友の泉屋博古館で中国古代の銅器鑑賞、河道屋で蕎麦を食べて会津藩の居所だった黒谷の金戒光明寺を経て神楽岡から前日登れなかった吉田山へ。在学時裸の地面にポツリとあった逍遥の碑が鬱蒼たる森の中にあり、当時見えた時計台も樹木で見えず40年の歳月を感じさせた。再び時計台下の新しいラウンジでお茶を飲んで散会。
毎年やったらどうかという声も多々あり、ゴルフ会のようにもう少し軽い形で幹事持ち回りでという案も検討することにした。
楽しい会合であった。
留岡 寛(昭39年卒)記
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