青森県東通村での近況
井上 茂(昭48年卒)
卒業後、早三十余年が経過した。上之園親佐先生の研究室に学び、東北電力に入るに際しては電力系統分野に携わりたいと思ったが、初赴任先は原子力開発本部であった。以来、原子力一筋で過ごすこととなり、茨城県の日本原電東海第二への出向、宮城県の女川での三基、そして現在の青森県東通1号機と計五基の原子力発電所の建設に携わって来た。原子力発電所の立地上、遠隔地での勤務が長くなるのは避けられない。現在は青森県下北郡東通村での生活を楽しんでおり紹介したい。
本州最北の下北半島には、東通村に東北および東京電力が隣接した敷地に原子力発電所を各二基ずつ計四基を、六ヶ所村に日本原燃が再処理工場など核燃料サイクル施設を、むつ市に東京電力が中間貯蔵施設を、大間町にJパワーが大間原子力発電所をそれぞれ計画している。東通村にある両電力の敷地には、将来的に増設可能な余裕が確保されており、下北半島は二十一世紀の我国最大のエネルギー基地となる可能性を持っている。
建設を行なっている東北電力東通1号機(沸騰水型 百十万キロワット)は、現在電力系統と連携し試運転中で、出力を段階的に上げながら性能を確認し、今年十月の完成を目指している。完成すると東北電力にとり女川3号機に次ぎ四基目、国内では今年一月に完成の中部電力浜岡5号機に次ぎ五十四基目の発電所となる。また、立地地点としては北陸電力の志賀に次ぐ十八番目となる。
東通村は、まさかり型の半島の右肩にあたる部分で、村名は現むつ市にあった南部藩代官所の東地域の呼び名に由来する。北は津軽海峡、東は太平洋に面し、約六十五キロメートルの沿岸を持ち、北東端の尻屋岬は灯台や寒立馬と呼ばれる放牧馬が有名である。村内には高い山は少なく丘陵地が多く森林が多い。昔はヒバ林に覆われていたというが、ご多分に漏れず今は杉林に変わっている。気候は冷涼で、初夏から夏にかけて「やませ」と呼ばれオホーツク海からの東風がもたらす低温高湿の霧に煩わされる。一方、青森市の大雪が伝えられるせいか県全体が豪雪地帯と思われているようだが、太平洋側の積雪はさほどではない。
当地は、海、山の幸に恵まれ食材が美味しく、採りたての魚介類を食べられるだけでなく、鮑、平目、ウニなど高級珍味で滅多に口に出来ないものが簡単に食べられる。地元の人は、これ位しか出せるものがないと謙遜するが、他所から来た者は価値観の違いに戸惑わされる。また、丘陵地には牧場が多くあり肉用牛も多く肥育され、地場産の高ランクの霜降り肉を食べる機会も多い。味と質は確かなようだがブランド確立には供給力不足なようで、当地で肥育した後、最後に仙台など他所の草を少し食べさせその地のブランドになってしまうようだ。
地理的な条件で集落が広い村内に分立、孤立していたせいか、能舞や神楽と呼ばれ、紀州熊野の修験者が伝えたという民俗芸能が五百年経った今も、生活に根ざし各集落に昔のまま伝承され、正月、祭り、祝いの場で演じられている。演目数も多く,また文化財として指定され継承もしっかりとされており見応えがある。地元の人と交じり酒を呑みながら見物していると、ふと、中世に遡ったような気になり不思議な気持ちになる。
そんな昔を多く残して来ている東通村も、時代、少子化などの流れの中で、また、原子力発電との共生による発展の中で、大きく変化しようとしている。1号機が今年十月に完成すると、昭和四十年に村から発電所設置の誘致を請けて以来、実に四十年を要したことになる。原子力発電所立地の仕事の息の長さをご理解頂けるかと思う。
さて、原子力界に身を投じて三十余年が経つと述べたが、原子力発電の興隆、発展そして停滞気味の現状と、大きな流れの中を走り抜けて来た。日本の原子力は電力会社とプラントメーカが一緒になり築いて来たが、メーカには優秀な方々を原子力界に配置してきて頂き負う所も多い。洛友会員を始めとし同窓の技術者と一緒に仕事をさせてもらう機会も多かった。しかし、新規建設がストップする今後、メーカの原子力への人材資源配布も今までのようには行かなくなっているようだ。原子力発電は長期間安定して稼動することにより、他電源と比べ遜色のない経済性を有しているものと考えるが、電力自由化の中で、初期投資が必要で、バックエンド対策が超長期的にわたることなど、短期的な経済メカニズムが重視される競争環境にそぐわない面も持っており、新設のインセンティブは働きにくい状況にある。エネルギーセキュリティーの確保や京都議定書の履行など地球環境問題への対応など、原子力の必要性は今後さらに増すと考えている。是非、新規原子力発電所を着工させやすいエネルギー政策の議論がなされることを願っている。
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