レオナルド・ダ・ヴィンチと創造性開発
北陸支部長
中島恭一(昭和40年卒)
最近、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画をめぐる謎を題材にしたミステリー小説「ダヴィンチ・コード」がベストセラーとなり話題となっている。ダヴィンチは言うまでもなく「モナリザ」や「最後の晩餐」といった歴史に残る名画の作者であり、15世紀から16世紀にかけてイタリアで興ったルネサンス運動の中心的存在である。彼の興味は芸術に限らず、科学や技術、人体解剖学に及び、数千点に及ぶといわれる自然や技術に関する観察やアイデアを示すスケッチや数千頁に及ぶ膨大な手稿を残している。機械技術、土木・建築技術、軍事技術をはじめ、交通機関の創造にも及ぶ広い領域でおびただしい数の技術アイデアを泉の湧き出る如く産み出している。こうした技術アイデアを当時の諸国家へ売り込む様子を示す手紙なども残っており、今で言う技術ベンチャーの端りともいえる。16〜17世紀におけるガリレオ、コペルニクス、デカルト、ニュートンなど天文学や近代力学の発達、18世紀の産業革命を経て近代科学技術の確立へとつながるが、ダヴィンチはその端緒を切り開いた「近代科学技術の草分け」とも呼ぶべき存在である.
私が現在勤める富山県立大学では、ダヴィンチの残したスケッチを元に、彼が考案した様々な機械の木製模型復元に取り組んでいる。神谷和秀講師と父の神谷長幸さんが約十年前から、ダヴィンチの手書きスケッチだけから設計図を描き、模型製作をこつこつと続けて、現在では70点に及んでいる。これほどの復元模型はイタリアでも見られないといわれる。
当時は石油、ガス、電力のような動力源がまだなかった時代であり、風力・水力・火力・重力・筋力といった自然力を効率的に使ったり、歯車やネジを巧妙に使った機械を考案している。今日のクレーンやエレベータの原型ともいえる機械や肉を均等に火であぶる機械といったユニークなものもある。科学技術が未開拓の時代にあって、当時の社会ニーズに機敏に応えて、技術創造に取り組んだダヴィンチの旺盛な好奇心と創造意欲は500年の時を超えて、現代の我々にも訴えかけてくるものがある。
富山県立大学では、学生が毎日通る通路の一角に「ダヴィンチ・コーナー」を設け、模型を陳列して自由に触れるようにしている。ダヴィンチのアイデアに日々接しながら、自らに眠る知的好奇心と創造意欲に呼び覚まして、一人でも多く技術創造にチャレンジしてほしいという思いからである。また、毎年夏に小中学生をはじめ若者に科学技術に親しんでもらう行事として「ダヴィンチ祭」を開催し、これらの模型に触れて、動かせるコーナーが好評を得ている。最近では、様々な教育機関や科学技術関連機関からの展示依頼も多く、若者の理科離れ防止や創造意欲増進にも役立てばと積極的に応じている。今年8月には科学技術振興機構の科学技術館でも展示される予定である。
ダヴィンチはまた鳥の飛翔をつぶさに観測し、人間が空を飛ぶのに必要な翼の長さを計算して「羽ばたき飛行機」を考案した。人間の筋力不足のため実際に空を飛べなかったが、ライト兄弟が2003年に動力飛行に初めて成功する400年も前に飛行機の原理を考えたことは驚くべきであろう。鳥の飛翔を観察する様子は彼の手記に書かれているが、その鋭い観察力・洞察力と好奇心は目を見張るものがある。鋭い観察に基づく洞察や好奇心は創造性発揮の要件であるが、人間の五感を超えた観察手段が発達した今日にあっても学ぶべきことであろう。
創造性開発のもう一つの要素にセレンディピティがある。これはセレンディップ王国の3人の王子の寓話から生まれた造語である。「偶然からモノを見つけだす能力」(角川書店)の著者である沢泉重一氏(富山県立大学客員教授)によれば、セレンディピティは偶然と察知力を生かせる能力であり、歴史上の発明・発見にはこの能力を生かしたものが多いという。セレンディピティの活躍の場は、科学技術に限らず、芸術や文学をはじめ、趣味の世界における身近な創造性発揮にもみられるという。ダヴィンチもまたセレンディピティを大いに発揮したことを想像するに難くない。富山県立大学では沢泉氏の協力を得て、セレンディピティも含む大学院と社会人向けの講義「創造性開発研究」を開講する予定である。次代の科学技術を担う若者に創造性発揮の動機づけになればと期待している。
勿論、観察力・洞察力やセレンディピティを生かした創造性発揮の前提として、基礎学力や広い視野が必要なことは言うまでもない。しかし、最近の日本における若い世代の基礎学力が心許ないのである。若者の「理科離れ」を反映して、数学や理科の学力や学習意欲の低下が目立っており、いくつかの国際的調査でも実証されている。文部科学省の学習指導要項の改訂に伴い、来年から新課程で学習した学生が大学に入学する。昨年、本学の教員が富山県の高校を中心に新課程での教育状況を調査したが、理科や数学での高校では教えないで、積み残される内容が目立つと共に、高校間での教育内容でのばらつきがかなり見られる。大学での基礎教育の内容や方法を見直さなければならない厳しい状況といえる。
今年2005年はアインシュタインが歴史的な3論文を1年の間に一挙に発表した「奇跡の年」から丁度百年目にあたる。国際連合は今年を「世界物理年」と定め、科学技術の進歩について振り返り、また今後について考える記念行事が世界各地で行われている。ダヴィンチから500年間で科学技術は進歩し、とりわけこの100年間では飛躍的発展がなされた。この間の社会発展とりわけ経済発展を対比してみるとき、科学技術の発展はまさに社会発展の原動力になってきたことは疑いなく、将来においてもそうであろう。
21世紀では、自然環境とも調和した持続可能な循環型社会の実現や安全・安心で豊かな人間生活の創造が課題となっており、そのための科学技術の創出と産業の発展が必要となっている。次代を担う若者が一人でも多く科学技術に関心をもち、創造力を発揮して新しい課題に挑戦することを期待している。そのための環境整備と人材育成、とりわけ基礎学力の強化と創造性開発が強く求められているといえよう。
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