会員寄稿(2)
洛友会会報 210号


啓蟄(けいちつ)と倫理

平松 新(昭和52年卒)

啓蟄(けいちつ)とは、暦の二十四節気(にじゅうしせっき)の3番目で、啓≠ヘ『ひらく』、蟄≠ヘ『土中で冬ごもりしている虫』の意である。つまり地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくるという意味である。
暦では、『啓蟄』が『雨水』後15日目の3月6日頃に当たるが、我が家では、5月の連休頃に当たっている。桜も見納め、汗ばむ季節になると、無性に体を動かしたくなり、それまではじっとしていた『やから(輩)』が急に動き回るようになる。部屋の掃除から始まって、書類の整理、荷物の整理、と展開していき、挙句は、納戸や倉庫の整理、部屋の模様替えと止まる所を知らない。はっと気がつくと、毎年同じ時節に当たっている。特に決めているわけではなく、家族にもこの傾向が見られる。副次的な効果としては、年末の大掃除が極めて簡素になる。いや、世間一般とは異なって、いわゆる年末の大掃除というものが我が家には存在しないのかも知れない。せいぜい窓拭き程度で終わってしまう。
この『我が家の啓蟄』なる習慣が身に付いたのはいつだったのだろうか。はっきりと覚えていないが、自分の部屋が与えられた頃だったように思う。小学校の頃、新学年の春先になると、前学年の資料の整理や部屋の模様替え(配置転換)を行うのが嬉しかった。多分、趣味になっていたのかも知れない。中高を経て大学生になると、自分の下宿はもちろんのこと、お世話になっていた木嶋研究室や桑原研究室の居室の模様替えまでするようになっていた。模様替えといっても机の向きを変える程度ではあったが、こよなく楽しんだ記憶がある。社会人になると、年度変わり恒例の配置転換が待ち遠しく、その時機になるとまさしく「水を得た魚」のごとく走り回るなど、ますますこの習慣に磨きがかかっていった。
では、『我が家の啓蟄』が、なにゆえに倫理問題と関係があるのか。
倫理問題を意識し始めたのは、技術士資格(平成4年、情報工学部門)をいただいた頃である。国家法(技術士法)でいくつかの遵守義務(第四章)が定められているが、中でも、『秘密保持義務の遵守』が『我が家の啓蟄』に大きな方向転換を与えることになった。このように書くと実に重々しいが、技術士法自体が重々しいので仕方がない。実際には、以前、研究ノートや資料を自他の区別無く無頓着に処分していたのを、顧客の機密情報に関連性があるかどうか意識するようになった程度の意識変化であった。
書類の整理を行う際、新しい名簿と交換し不要になった古い名簿の処分がかなり大変である。簡単には燃えないのである。もちろん「燃えるゴミ」として廃却するのは、衆目に曝(さら)してしまい倫理に悖(もと)るのであって、この名簿のページを手で裂いて処分する必要が生じる。そろそろ機械式シュレッダーを使いたいと思うが、丁寧にページを裂いている時にこそお世話になった名簿や登録されている先輩、知人に思いをはせることになるので、案外私にとって大切な時間であり、大いなる楽しみである。
名簿の他にも処分義務を自ら課しているものがいくつかある。業務上顧客から預かったデータであるとか、個人情報の類である。今年の4月から個人情報保護法が施行され、データの管理義務を怠ると行政処分の対象となるようになったが、『我が家の啓蟄』では、かねてより厳格な処分を行ってきたので、慌てることはなかった。CD(コンパクト・ディスク)などに収めた顧客データは、記録面を腐食させると完全に消去できる。それには、家人からネール・ペイント除去用の有機溶剤を借りて記録面に塗れば完璧である。これは偶然にCDの盤面に書いた油性文字をはがしたところ、溶剤が多すぎて記録面にもついてしまいデータを消してしまった経験による。ともあれ、倫理問題は、肉体疲労を伴うものである。
『我が家の啓蟄』の季節になると、元東大教授の竹内均先生のことばを思い出す。竹内先生といえば、サイエンス雑誌の編集長を務められるなど偉業を数多く成し遂げられているが、『我が家の啓蟄』には先生の知られざる一面が影響を与えている。あるテレビ局のインタビューに対して、「僕の書斎には意外に本がないんですよ」とお答えになったのである。つまり、常に傍に置いて使用する本は、書架に2段もあれば十分で、その他は倉庫に保管しているということであった。これには、「眼から鱗」であった。その当時は、多くの専門書を後生大事に抱えており、職場にも住居にも本が溢れていた。ところが、平成7年に神戸を襲った大震災が引き金となって、多くの本を処分することになった。雨に濡れた本もそうであるが、被災地から東大阪市に引越しを行った時に、大量の本を処分した。不思議なもので、一度処分をすることに目覚めると、それまでどうしても処分できなかったものまでいとも簡単に処分できるようになるものである。
ここで、『我が家の啓蟄』のルールが確立した。
(1)前年の啓蟄から1年間の間、読まなかった本や使わなかったモノは納戸へ保管する。
(2)前々年の啓蟄から1年間の間、納戸において喚起されなかった本やモノは処分する。
まず、大所帯だった百科事典は、近所の学校に寄贈した。文庫本や流行本はすべてリサイクル専門業者へ持って行った。
不要になったものにも第二のライフサイクルが巡ってくる。インターネットの利用である。再利用可能な器材や専門書も、インターネット上で欲しい方に引き取っていただけるようになった。同時に、知りたい情報が瞬時に検索できるようになったので、百科事典の代わりとなっている。横では子供が電子辞書を使っているが、広辞苑を始めとして、コンサイス英和、和英、仏和など20冊ほどの辞書が手帳ほどの大きさのケースに収納されている。これらの努力で事務所の書架は、書籍用に2段、書類用に2段に減少した。納戸の書架は、短期保存用に5段、中長期保存用に5段となっているが、これには理由がある。
私事で恐縮だが、平成17年(2005年)の今年、子供たちの大学進学と中学進学が同時に決まった。そうなると発生するのが、大量の受験に使用した教材である。大学進学への教材は、6年後の将来再利用する場合も考慮して、ルールを少し変更して長期保存とした。中学進学への教材は、大学進学組が家庭教師用の教材として再利用されることになった。他には、満一歳になる彼らの従兄弟のために保存している絵本などもある。すなわち、『我が家の啓蟄』も世代を越えることとなったのである。
世代を越えると述べたが、実情は少し異なるようだ。子供たちは、やかましく言わないと片付けをしない。否、言っても片付けなくなってきた。隔世遺伝を信じて、彼らの子供たちに期待することにしよう。


  ページ上部に戻る
210号目次に戻る



洛友会ホームページ