会員寄稿(3)
洛友会会報 213号


国家の品格

岩見 紀征(平成8年卒)

 2年間の米国MBA(経営学修士)留学中、薄々感じていた事はこれだったのかな。ふと手に取ったベストセラー「国家の品格(藤原正彦氏 著)」を読みながらそう思った。
 「日本人の諸先輩がいかに偉大だったかを感じる2年間になると思う。米国に来て初めて日本を大事に思うようになった。」渡米後間もない時期、入れ違いで卒業される日本人の方に街を案内してもらいながら聞いた言葉に、正直、戸惑った。そもそも国というものを意識して過ごしてきた訳ではなかったから当然だろう。それに日本にそれほど誇りも持てなかった。子供の頃から先生達に「日本は良い国だ。」と言われてきたのに、自分が社会に出るころには経済不振にあえぎ、治安も悪化していた。他国からも、日本からはもはや学ぶことはないとまで言われるようになり、経験を分かちあう場とされるMBAコースでも、日本人よりも中国人やインド人を多く入学させるようになっていた。
 とにかく、家族3人で過ごした2年間の米国生活は公私共に充実した毎日だった。平凡な日など、ほとんど記憶がない。留学中の勉強量は半端ではなかったし、言語の壁も厚かったが、それらを乗り越えることで大きな自信を得ることもできた。それに、一生ものの友人が世界各国にできた。この経験は今後の自分の人生に大きな影響を与え続けることは間違いなく、留学を勧めてくれた上層部の方々、支え続けてくれた方々など、多くの人に感謝してやまない。
 そんな良い思い出の残る米国は今でも大好きである。これからも何度でも行ってみたい。なぜだか分からないが、あの広大な土地にいると、変なプライドや意地などはどうでも良くなり、自然体でいることができた。しかし、米国はどこか病んでいるのではないか。そう思わずにはいられなかったのも事実である。自分の回りにいた米国人の大半は、中流・上流の人々で、彼らの生活は本当に豊かだった。しかし、その一方で、世界のどの国よりも豊かなはずの国は、多くの歪を抱えていた。日本など比べものにならない格差社会。根強く残る人種差別。治安の悪い貧困街。手を汚す仕事は全て移民の人たちまかせ。この国から学ぶことは多いが、だからと言ってあまり真似してはいけないのではないかと何度も思った。
 藤原氏は「国家の品格」の中で、米国をはじめとする世界各国の格差発生の一因は、情緒よりも論理を重んじ過ぎたことにあるとしている。確かに、米国では先生も同級生も、とにかく論理的であることを第一としていた。一般の人はそうでもないが、いわゆるエリート層は、何が正しいではなく、「考え方」のみ正しければよいという感じだった。確かに一見論理だし明快だが、それは違うだろうと議論をしながら何度も感じた。論理的に正しければイラクに侵攻することすらよし、とされる国であり、恐ろしい話である。藤原氏が言うように、「正しいことは正しいだけのことだ。」と何度も思った。
 滞在中、日本人には日本人の、米国人には米国人の良さがあると何度も感じた。米国人の、いつもユーモアを忘れないところや、女性や子供には必ず席を譲る態度など、彼らの良さを何度も目にした。一方で、英語は流暢だが、日本人の良さである謙遜さを忘れ、尊大な態度をとる日本人を米国で目にすることは少なくなかった。米国人も実はあんな風に行儀は悪くない。彼らは結局米国人のごく表面だけを真似しただけで、米国人の良さも身につかず、日本人の良さも失っていたように思った。米国人にはなろうとしてもなれるものではなく、日本人としての良さをもっと大事にすべきではないか、と思わずにはいられなかった。英語はたどたどしくても、一生懸命勉強する我々日本人学生は他国の同級生たちから賞賛された。また、トヨタ方式なども授業で話題になったが、そうした日本発の考えに感嘆の声が上がる度、諸先輩方が積み上げてきたことのすばらしさを感じずにはいられなかった。
 そうした経験を通し、渡米直後に先輩から聞いた言葉通り、日本という国にもっと誇りを持たなければならないと思うようになった。それに、自分の国に誇りを持てなければ、他国の人々の思いを尊重することもできないのではとも思った。そして、みんなが日本に誇りをもてるようになるためにも、藤原氏が書いた欧米の悪口や国語教育の大事さなど、年配の方に受けが良さそうな部分のみが心を捉えた一過性のブームではなく、氏が本当に意図した「国家の品格」の再構築が進んで欲しいと思う。いまさら武士道の昔に戻ることはできないかもしれないが、日本の良さを再認識する一方で、他国に学ぶべきことは学び、今までとはまた違う「国家の品格」が形成されることを願わずにはおれない。
 今も時々英語を口にする娘が大きくなる頃には、日本がもっと良い国であって欲しいと願いながら、この辺りで寄稿文を終わりとしたいと思う。おまえに「品格」について書く資格などないだろうと、この文を読んだ同級生たちから冷やかされるのかなと思いつつ。



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