会員の寄稿(2)  
洛友会会報 214号


とある球技

笠川 隆(平成10年卒)

 現在の部署に異動して約一年半になる。異動に際し、“とある球技”を始める羽目になってしまった。学生時代には、「あんなもの面白いのかな」と言っていた私が、である。そう、ゴルフを始めることになってしまったのである。所詮、私もサラリーマンである。担当の慰安会はほぼゴルフで決まりらしいし、上司が上手で好きだというのであれば、動機は何であれ始めるのが無難である。そんな消極的な動機からゴルフを始めることになった。ゴルフをされる方々の多くはそういった動機から始めたのではないかと思うのだが、いかがでしょうか。何はともあれ道具が無くては始まらないので、クラブを買いに行くことにした。
 店に入ってみると、山ほど商品がある。手ごろな中古のアイアンセットをとりあえず買う事にした。SとかRとか表示してある。何のことか店員に聞いてみると、シャフトの硬さの事らしい。どちらがいいのか聞いてみたところ、「力がありそうだし、Sで良いと思いますよ」とのこと。自分では痩せていると思っているので、なんとも適当だなと感じつつも、言われるがまま購入し、笑顔の店員から見送りを受けて家に帰った。
 30歳目前にして、生まれて初めてゴルフ練習場に足を運んだ。なんとなく振ってみる。また振ってみる。しかし、当たらない・・・。普通に考えて、始めてすぐに出来るわけがない。これは空振りじゃなく素振りの練習なのだと前向きに考え、たまに当たる快感を覚えつつ2時間くらい黙々と振り続けた。なにくそと思い、無理矢理にでも暇を見つけて週一回のペースで練習場に行く日が続いた。
 アイアンを購入後2ヶ月程して、コースにデビューすることが決定した。その頃になるとアイアンにはボールが当たるようになってきた。三千円程で中古のドライバーを買ったが、練習場でも全く当たらない。とは言っても、捨てるのももったいないのでとりあえずバックに入れておくことにした。もっともその頃は、アイアンとドライバーの打ち方の違いがよく分からない程度の腕前であったことであることを付け加えておく。
 とうとうプレー当日、緊張のティーショット。案の定当たっただけで、飛ばしてやるぞという気持ちとは裏腹に、ボールは勢いよく転がりながらフェアウェイの手前の芝の中へ。しかし、今から考えれば当たっただけマシである。前日に先輩から譲ってもらったパターを使い、何とかホールアウト。スコアは132。そんなもんだと言う者有り、初めてにしては上出来だと言う者有り。私としては、何とか終わったという思いで一杯の一日だった。その日は、ドライバーで打とうなどという気はさらさら無かった。
 それ以来、コースに出ること4回。ドライバーの重要性に気づき、早速買い替えて練習に励み、これまでの最高スコアは108である。いつか100を切れたらいいなというのが私の現時点でのささやかな望みである。とはいうものの、今まではミスをなくせば1打減ってきたわけだが、これから1打少なくするには、積極的に狙っていかなくてはならない。上達するには、受身のプレーよりも自発のプレーが求められることになるのであろうが、実現させるには相当の練習と勉強が必要になるなとうすうす感じ始めてきたこの頃である。
 今日に至るまで、いわば我流でやってきたわけであるが、それでもゴルフというのは色々な意味で面白いものであるなと感じている。まず、ゴルフは球技であるが、止まった玉しか打てない球技なのである。数ある球技の中で、止まった玉を打てるのはゴルフとゲートボール、ビリヤードくらいのものであろう。加えて記すならば、たった一つの玉に対して様々なクラブを使用する点である。一つの球を打つためだけに、最大14本ものクラブの使用が認められる競技は、ゴルフ以外に私は思いつかない。
 自己責任という言葉が紙面を賑わせた時期がかつてあったが、ゴルフはその言葉の本来の精神をまさに地で行っていると思う。ゴルフをされたことのある方は、悪意を持ったプレイヤーのためにゴルフのルールは書かれていないことに気づいておられていることかと思う。スコアでも何でもその気になればいくらでも誤魔化すことは可能である。しかし、プレイヤーは何故そうしないのであろうか。“とある球技”について「あんなもの面白いのかな」と言っていた、かつての自分に聞いてみることにしよう。


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