金沢での洛友41年会
2006年9月9日、10日の2日にわたって昭和41年卒の会を金沢で行った。2001年秋は吉田キャンパス、2004年秋は桂新キャンパスの見学を兼ねて京都で集まったので、今回は京都と東京の真ん中でやろうということになり金沢が選ばれ、総勢32名が参加した。
第一日目は電気卒の青木克比呂さんが金沢工業大学におられることから、見学を設定していただいた。午後1:30ごろ、金沢工大に到着、先ず図書館を見学させていただいた。「工学の曙」文庫と名付けられたコレクションは科学技術上の歴史的な業績の初版本を集めたもので、現図書館長の竺教授の収集・構成になるものだそうである。この日は特別に直接竺教授に案内していただいて書庫に入らせていただいた。アルキメデス・ホイヘンス・ライプニッツ・ニュートン・フランクリン・ラプラス・ヴォルタ・ガウス・マクスウェル・エディソンなどなど、懐かしいような恐れ多いような人々の初版本がずらりと並んでいた。大変な文化的資料で、1週間ほどあとに”「電気の精」とその功績”と題した展示を行うべく準備中とのことであった。金沢工大はポピュラーミュージックのLPレコード(多くは全国のポピュラーミュージック・ファンからの寄贈)を中心に大量のメディアを保有している(PMC:ポピュラーミュージックコレクション)。青木さんのお世話で、歌謡曲からジャズまで広いジャンルの中から、我々のために学生達が選んでおいてくれたLPレコードを試聴できるようになっていた。短時間ではあったが、特製のオーディオ・チェアで楽しませていただいた。最後に夢考房を見学させていただいた。ここは学生の実験工房で、学生が自分で考えてもの作りをする場所・道具・部品を提供している。大学に計画を出して審査を受けて予算がつくこともある一方、なんの届けもせず自由に使用することもできる、という思い切ったやり方である。直接的には数名の技術職員によって運営されているそうで、学生には単位はつかないシステムとのことであった。金沢工業大学の特色のある活動をゆっくり見学させていただき、皆から感心の声があがっていた。
懇親会は山代温泉山下家で行った。全員写真のあと青木さんから地元金沢としての歓迎の辞、島崎眞昭さんから大学の近況と洛友会改革について説明があったあと、京大副学長から松江高専校長に華麗な変身を遂げた荒木光彦さんの音頭で乾杯をして懇親に入った。60を少し越えたといっても皆元気そのもので差し入れの地酒もすぐ空いてしまう状況で、あとは座が入り乱れて久しぶりの再会に盛り上がった。恒例により最後は「琵琶湖周遊の歌」と「逍遥の歌」を全員肩を組んで合唱して3年後の再開を誓いあった。
翌日は観光とゴルフ組みに分かれて金沢の一日を楽しんだ。観光組は朝から小雨模様の中、9時ごろにホテルを出発した。”那谷寺”は起伏のある広い境内にお堂や塔が散在する、717年開山という由緒あるお寺であった。それぞれのペースで縦に長くなりながら一巡りした。次に訪れた”妙立寺”では、観光客を班分けして手際よく案内してくれた。見事なくらいの観せんかなの姿勢であった。いろんなからくりを仕掛けたまことに妙な寺で、忍者寺とも呼ばれているそうであるが、加賀百万石の前田家が、徳川幕府に対する万一のときの出城のつもりで建立したものだそうである。「攻められたときにこんなからくりが本当に役に立つのかね、さあどうやろうねえ、わからんねえ、実際には一度も使われなかったんやし」などというにぎやかな声を残して、洛友41年会すずめどもは寺をあとにした。日本3代名園の一つの”兼六園”は、さすがに手入れが行き届いて見事な枝ぶりの樹も多く、ガイドさんに率いられて、小雨の中それぞれ写真を撮りつつ楽しませてもらった。このあと、東茶屋町の”懐華楼”に案内してもらい、美人女将の説明で朱や群青の座敷、金箔織りの茶室などを巡って小休憩し、金沢駅に向かった。
一方ゴルフ組み12名はツインフィールズゴルフクラブに向かった。心配していたお天気は、やはり朝から暗雲がたちこめ、旅館から見る空も、日本海沿いの気候にふさわしく、雨を予感させた。それでもスタート時点では、雲が切れて期待を持たせていたが、6ホールぐらいで豪雨に変わった。ともかくパーオンしたボールを期待をこめてパットしたら、水煙を上げて止まってしまう。ついにパーティのメンバーから、前半で中止したいという声も出始めた。昼休みに、1組目にお伺いをたてると、返ってきた答えは“こんな雨でやめられるか、”どうやら、一番スコアのいい方に聞いたのがまずかったか。昼食後も張り切って出かけた第1組の後を追う展開になった。最後まで、雨の中のプレーを全員で楽しんだ結果、意外にスコアの好いのにおどろかされた。ダブルペリアの結果は、モバイルBB期待の星、千本倖生さんがベスグロも獲得し、グロス89、ネット73.4で優勝され、参加者の平均101という好成績に終わった。さすが、今から携帯電話会社を立ち上げるファイトがあるのを、再認識できたと事業の成功を皆で確信した一日であった。
今回の洛友41年会は天候に必ずしも恵まれなかったが、終わってみると雨もまた印象深く、充実した二日間であった。
更家淳司(電気) 竹原壽良(電子) 今中良一(電U)
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