教室だより(1)
洛友会会報 218号


レーダー研究に生かされて

深尾 昌一郎(昭42年卒)

 去る3月末、私は定年により京都大学を退職させていただいた。在職中、大気観測用レーダーの開発と地球大気の観測的研究を存分にやらせていただいた。どれも大掛かりな設備をともなう研究である。当然そこには私が学生時代から師事してきた京都大学名誉教授加藤進先生はじめ同前田憲一・木村磐根・津田孝夫先生ら恩師の諸先生、諸先輩はじめ電気系教室の多くの方々の支えがあった。この拙稿で自らの研究を振り返るにあたって、まずこれらの皆様からいただいたご指導とご鞭撻に心より御礼を申し上げたい。
 レーダーは遠方の航空機や人工衛星などの標的に向けて電波を発射し、散乱(または反射)されて戻ってくる信号から標的を検出する装置である。標的の方向は信号の返ってくる方向から、 また標的までの距離はその往復時間から求めることができる。さらに標的が動いていると、受信信号の周波数が発射電波の周波数から少しずれること(ドップラー効果)を利用してその速度も測れる。標的の種類によりレーダーの方式やシステムは多様である。大気観測への応用は1940年代半ばに下層大気(地表〜高度10km)中の降水粒子を標的とする気象レーダーから始まった。その後の宇宙時代の到来にともなって、1960年代には超高層大気(高度100km以高;電離圏とも呼ばれる)を観測するため、電子を標的とするインコヒーレント散乱(IS)レーダーが開発され欧米で発展した。その間、両者に挟まれた中層大気(高度10〜100km)は、適当な標的が見出されなかったため、未知のまま取り残された。
 私は当初からレーダー研究を専門にしたわけではなかった。そもそもその頃レーダー研究を標榜している大学研究室も皆無であった。1974年夏、私は学位論文を仕上げた直後の数ヶ月間を米国コロラド州ボルダー(Boulder)市の高層物理観測所(High Altitude Observatory;現米国大気科学研究センター)で過ごした。前田先生のご紹介で、当時電離層研究で著名であったSadami Matsushita博士(故人;京都大学理学部地球物理学教室卒)にお世話になった。私はその機会を捉えて何としても自分の生涯の研究課題を見つけたいと考えていた。私は卒業後それまでコンピュータによるプラズマ(電離によって生じたイオンと電子を含む気体)の理論的研究をやっていた。それはそれなりに面白い研究であったが、工学部卒業の私にはもっと大掛かりな電波の観測的研究をやってみたいという強い憧れがあった。学位取得直後がその好機と狙っていた。殆ど毎夕同博士の研究室を訪ねては夜更けまでいろいろ議論をしていただいた。君が何もかも掛けてやるなら、とMatsushita 博士が勧めてくれたのがISレーダーであった。なかなか大変だけれどもね、と付け加えられた一言の意は、その後レーダー研究を始めて直ぐ思い知ることとなった。ISレーダーの建設は、同博士自身も一時強い意欲を示されたが上手く運ばなかったとのことであった。それから私はISレーダーについて猛勉強をし、その分野の拡がりと深さに魅せられた。たまたま私の滞在中に同博士が開催されたシンポジウムに加藤先生(当時工学部付属電離層研究施設)も参加された。会議の合間に恐る恐る、研究テーマを変えたい、ISレーダーをやりたい、とお伺を立てた。幸い私の恐れは杞憂に過ぎなかった。加藤先生は既に電離層研究施設の発展的な改組に絡めて、ISレーダー建設も有力な方策と構想しておられた。我が国も独自のISレーダーを持つべきである、との先生の熱い想いに私は共感した。しかし私は既に31歳、助手にしていただいており、妻子もいた。まったく新しい分野に一から取り組もうというわけである。上手く行くかどうか、私には明るい見通しはまるでなかった。今振返ってみるとその無謀さに呆れ返るばかりであるが、これで私の進むべき道が決まった。帰国後、私はそれまでやっていた研究の資料をすべて処分し退路を絶った。
 ペルーにあるISレーダーで中層大気からも信号が返ってくることが発見され、それを用いて大気の運動(風速)を計測する技術が提案されたのは丁度その頃であった。中層大気の標的が大気の小さな乱れ(乱流)であることはその後直ぐ判明した。レーダーで乱流を追跡して背景大気の運動が観測できるのである。ときまさに中層大気中のオゾン層が、人為起源のフロンガスなどにより破壊され、気候変動の主要因になることが懸念され始めた時期であった。この技術はすぐさま中層大気を研究していた気象と超高層大気研究者の着目するところとなり、各国で中層大気観測を専一にする大気レーダーの研究開発が始まった。我が国でも私達が中心となって独自のレーダー建設を提案、中層大気(Middle Atmosphere)と超高層大気(Upper Atmosphere)をともに観測できる『MUレーダー』(ミューレーダー;両大気圏の頭文字による)を開発することになった。当時、電子も標的に出来る大気レーダーは世界のどこにもなかったが、これは工夫をすればなんとかなりそうであった。この構想には我が国の電子工学はじめ気象と超高層大気関係者の熱烈な支持があった。
 中層大気中の乱流からの信号は当然極めて微弱であり、それを受信する大気レーダーはアンテナ直径100m、ピーク発射電力1,000kW以上という大掛かりな設備を必要とする。一方、変動する大気の運動を立体的に捉えるには、標的(乱流)をほぼ同時に多方向から観測することが必要で、そのためには観測方向(電波発射方向)を高速に切替えねばならない。しかしこの観測方向の高速切替えが巨大な送信機をもつ従来方式では不可能であり、観測には克服しがたい制約があった。これに対して私達は巨大な送信機に代えて、数百台の小型送受信機をアンテナの個々に分散接続し、電波発射方向をコンピューターで制御するというアクティブ・フェーズド・アレー方式(分散方式)を提案した。これは当時、米英のミサイル追尾レーダーに採用されていると噂されていた極めて高度な方式であった。当然文献など公表されているものはなかった。当初この提案を「数百人の幼稚園児に整列を強いるようなもの」と酷評する電子工学専門家もいた。しかし我が国の電子技術レベルが著しく向上した時期であることが幸いした。1984年11月、滋賀県の信楽に完成したMUレーダーは世界で初めて、観測方向の瞬時切替えを実現した。その卓抜した性能により、従来方式で捉えられなかった変動の激しい大気波動や乱流の詳細な三次元構造が初めて観測できることとなった。またMUレーダーで新たに開発された多くの要素技術が、後続の諸外国の大気レーダーにも取り入れられるなど大きな影響を与えた。最近になって公表された当時の文献を調べると、既に欧米に多数あったとされた分散方式レーダーは、実は米国の巨大軍需会社レイセオン社が開発したものがほんの数台が配備されていただけであった。私達は独自技術でほぼ同時期に初めて民生用の分散方式大気レーダーを開発していたことになる。
 その後、私達の周辺で新しい観測法が次々と開発され、中層大気や超高層大気の広範な分野で観測研究が目覚しく進展した。中層・超高層大気中では下層大気中のような雨や嵐など日常的な天気変化は起こらない。しかしそこは決して静寂の世界ではなく、大気の擾乱が「波」となって激しく吹き荒れていることが、これらの観測から次々と明らかにされた。なかでも成層した大気中で発生する大気重力波について、下層大気中の励起、中層大気中の伝搬、さらに砕波による乱流生成などの諸過程、並びにそれらの季節・高度依存性などが、初めて、直接観測により明快に示された。一方、超高層大気の研究においても、MUレーダー観測により、その実態が長年不明のままであった無線通信の障害となる電離異常の動的立体構造を解明することに成功した。特にスプレッドF層中に巨大な電離泡(plume)が存在することを示した成果は、それまで中緯度電離圏は静穏とした旧来のパラダイムを覆すものとして大きな反響を呼び、国際的に関連研究の発展を促した。またスポラディックE層に準周期的な構造が出来ることも発見された。私達はその解明のために二次にわたって大規模なレーダー・ロケット同時実験を組織し、その生成に大気重力波と電離大気が相互に作用し合う力学過程が関与していることを明らかにした。これらの成果により、京都大学MUレーダーは大気レーダー研究の国際拠点としてその評価を確立した。
 引き続いて私達はMUレーダーでその有効性が実証された分散方式の技術を発展させて『赤道大気レーダー(EAR)』(図1,2)を開発、平成13年3月、インドネシア・スマトラ島の赤道直下に設置し、稼動させることに成功した。構想から十数年経っていた。それほど長い時間が掛かったのは、文部省(当時)に一国立大学が海外で大型設備を運用することに強い懸念があったことが一因であった。このため私達はMUレーダーで次々成果を挙げる傍ら、1980年代半ばからインドネシア政府と様々な研究協力事業を推進した。その後の彼らとの充実した研究協力関係の確立が学界や文部省を動かす大きな力となったことは間違いないだろう。EARの実現は国立大学が海外に大型設備を設置し、定常運用をする嚆矢となった。同地域は地球上で積雲対流活動が最も活発で、地球規模の気象と気候に大きな影響を与えていながら、従来、観測はあまりに少なく断片的であった。EARは積雲対流が励起する大気波動の伝搬・砕波を捉えるなど、私達が同地域の大気擾乱解明に向けて大きな前進を成し遂げる上で重要な観測成果をもたらした。私はさらに文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「赤道大気上下結合(平成13〜18年度)」を組織し、その領域代表者として、赤道大気の観測的研究を推進した。また現地にEARを中核設備とする赤道大気観測所を設立し、インドネシア政府と共同で運用している。
 また私達は大気レーダーを下層大気の気象現象に応用することにも先鞭をつけた。特に降雨粒径分布や台風内部の力学構造を直接観測により明らかにするなどの成果を得た。さらにMUレーダーの風を測る機能に特化して、気象に深く関わる地上から高度数キロメートルまでの風速を測定するための小型大気レーダー(ウインドプロファイラー)を各種開発し、地球大気最下層の大気擾乱の精密な観測に成功した。なかでも普及型の『下部対流圏レーダー(LTR)』は、風速観測の標準的な測器としての評価が確立し、国内外で広く用いられている。LTRは、平成13年、我が国気象庁が全国展開したウインドプロファイラー網『ウインダス(WINDAS)』の構成レーダー(総数31台)に採用され、日々の天気予報業務に用いられ、従来予報が困難であった局地的豪雨の予報精度向上に貢献している。
 これらの研究成果はこれまでに国際学術誌に350編余の学術論文となって結実している。私の研究室から博士も27名誕生した。ほとんど1980年以降の成果である。先述のとおり1974年に“宗旨替え”をした私は、その後の4年間、一編の短い論文すらまとめることが出来なかった。近年の短期間成果評価主義に照らせば、間違いなく私はその前後、研究の第一線から消え去っていたことだろう。加藤・木村両先生が出来の悪い助手を辛抱強く見守って下さったのは実に有難かった。一方、ひとつの集大成として、平成17年に『気象と大気のレーダーリモートセンシング』(浜津享助氏と共著、491頁、京都大学学術出版会)を著した。典型的な工学・理学の学際領域にある当該研究を、レーダー大気物理学という視点で初めて体系的統一的に論じたもので、後日思いがけず過分の評価を頂いた。
 私が大気レーダーの研究をやった、と自ら誇るのはおこがましい。ただ奔流のように展開する研究の渦中にあって、私達が開発したレーダーが自ら地球大気について“語る”のに静かに耳を傾けてきただけである。私はレーダー研究に生かされてきた、と言うべきだろう。技術的成功の多くには、三菱電機(株)はじめメーカー関係者のご尽力があった。また当初から学際領域を目指したことから、異分野の多くの研究者からも多大のご支援をいただいた。また私が所属した生存圏研究所と研究室の関係者は私を終始支えて下さった。特に、学生諸君との交流は私にはいつも至福のひとときであった。大学を去り、研究の奔流を離れた今、改めてお世話になったこれらの皆様すべてに深甚な謝意を表したい。あわせて電気系教室と洛友会の今後益々の発展を祈念申し上げる。

図1 京都大学がインドネシア・スマトラ島の赤道直下に建設した赤道大気レーダー(EAR)のアンテナアレー全景。
 
図2 アンテナアレーの素子近景。支柱下部のケースに収納された小型送信機から各素子に給電される。

 

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