アドヴィックスと私
酒井 和憲(昭55年修・中部支部)
<私の学生時代>
私が最初に京都大学に入ったのは理学部でした。
小学校の頃からアマチュア無線などが好きで、電子工学をやりたいと思っていたのですが、高校の頃に相対性理論や素粒子論に魅せられてしまい、ここしかないと入学しました。
グライダー部で部活動に明け暮れた教養部時代を楽しんだ後、まじめに通った学部の実験ではNMR(核磁気共鳴)の基礎研究をしていました。実験装置のほとんどは自作で、回路設計をしたりプリント基板を何度も作り直したり、物理学の実験なのに大半を電子工学に費やしていたようです。
大学院を考える時期になって、自分は理論より実用の学問が向いていると判断し、同じ下宿に電気系の学生の同期が4人いたこともあって、電気系の大学院に進学しました。当時の川端研究室では、表面物性やZnO強誘電体薄膜の光集積回路の基礎研究をしていました。ここでは実験試料を作るための薄膜製造装置や真空ポンプ、光学実験を行うYagレーザー、発熱の大きなレーザーを長時間運転するための冷却装置の導入にかなりの時間を費やしました。
就職を考えるようになって、電気系の会社をいくつか回った後、自動車会社を見学しました。その時、「これからは人間と機械の関わりを高めていくことが技術の役割だ!」とひらめき、「自動車会社で電気の学生が必要なのか?」と心配される先生の反対を押し切って、トヨタ自動車に入社を決意したのです。
思い返せば、自然の風で人と一体となって飛ぶグライダーにおいても、離着陸するにはウインチや自動車を使い、仲間のチームワークに助けられて飛んでいました。こうした経験も自動車会社を選んだことに影響したかもしれません。
余談ですが、先ごろ受診した人間ドックでは、脳の血管の断層撮影にNMRの技術が使われていました。自分の学生時代の基礎研究が、今や医学でも活躍しているわけです。また、自動車ではハイブリッド車のプリウスをはじめ、多くの安全・環境・利便装備等、もはや車は電子装置の塊になっています。当時では全く予測できませんでした。
<トヨタ自動車から、アドヴィックスへ>
私の若い頃の仕事はABS(Anti-lock Brake System:ブレーキ時の横滑り防止装置)の開発でした。当時エンジンの電子制御が始まったばかりで、ブレーキに電子を使うなんてとんでもない時代だったと思います。「壊れてもブレーキは利くこと!」と重役からフォローされることはありましたが、オプション設定ということもあり、担当の私に大方任されていました。人の命を救うという使命感もあり随分頑張っていましたが、機械主体の車両構造の中に、弱い電子部品を組み込んでいくことは苦労の連続でした。
D・カーネギーの『道は開ける』(創元社)という本があります。学生時代に読んだときは分からなかったのですが、原題“How to Stop Worrying
and Start Living”のとおり、自分が置かれた状況が次々と出てきて参考になり、名著も読み手の状況で評価が変わるものだと痛感しました。
いろいろな職場を経験し、職位も上がるにつれ、将来の車の開発を推進するためのマネジメントに関わるようになりました。巨大な開発組織のベクトルを合わせていくことは、楽しさがある一方、技術面の苦労と多部署・人の苦労が絶えませんでした。自分の将来を見つめ直そうと考えていたちょうどその頃、突然、株式会社アドヴィックスに執行役員として転籍を命じられました。
アドヴィックスは、ブレーキに関するトヨタ系各社の機能を2001年に集約した、ブレーキ専門の開発・販売会社です。従業員1000人ほどで、部品の企画・開発から車両の評価まで行っています。
最近になり自動ブレーキが実用化され、また全ての運転状態での横滑り防止装置(ESC:Electronic Stability Control)の法規義務付けが近づいていることで、たいへん活気のある会社です。
自分が若い頃夢見た「人に安心と利便を与える自動運転」の一端を担うことができ、技術者としてはたいへん楽しみです。自分が育ったように若い人が育っていける会社にしたいと思っています。
巡り巡って今、私はこの会社で今までの経験をつぎ込める本当にやりたかったことをやっているのかもしれません。
自分は本当に何がしたいか、分かってくるのには多くの時間と経験が必要です。しかし、登山口が違っても同じ頂上を目指すように、人間いろいろ学んでくるとどこから入っても同じような事象が現れてくるように思います。ただし、大事なのはその登山口一つ一つを大切にし、あるいは楽しみ、頑張ることではないでしょうか。
<結び>
日ごろ漠然と考えていたことを、この誌面を借りてまとめさせていただきました。少しでも若い方の参考になれば嬉しいです。また、諸先輩のご意見を賜りたいと思います。ありがとうございました。
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