北極オーロラ・レーダー研究観測事情
麻生 武彦(昭42年卒・東京支部)
私は電子工学科前田研究室から電離層研究施設、超高層電波研究センターをへて1997年に電気工学教室から国立極地研究所・北極圏環境研究センターに転じ、今年3月退任しました。 極地研究所は日本の南極観測の中核となる大学共同利用機関で、1990年には北極センターが設置され、南北両極研究体制が整備されました。1957年の国際地球観測年から五十年の国際極年では地球気候変動への関心の高まりのなか南北両極「バイポーラ」が重要な視点となっています。ここでは私が関わってきたレーダーとオーロラ観測を中心に北極超高層研究観測事情の一端を述べたいと思います。
オーロラ光学観測事情
北極のオーロラ帯はカナダ・エルズミア島付近に位置する地磁気北極を中心に磁気緯度65度から70度のスウェーデン・キルナ、ノルウェー・トロムソから、フィンランド、アイスランド、アラスカ・フェアバンクス、カナダ北部を通るドーナツ状の領域で、多くの観測点でさまざまな光学観測がなされています。緑白色の557.7
nmや高度が高いため中緯度でも時折見られる赤色の630.0 nmなど種々の波長からなるオーロラ発光の、全色や単色のイメージャー、分光器、分光強度に重点をおいたフォトメータ、発光中性粒子の温度を調べる干渉計など多種多様です。オーロラの明るさは視線方向の発光の重ね合わせとしてレーリー(R、1R=1010光子/m2・sec=2.4×10-6ルクス
波長550nm)という単位で表わされ、強いディスクリート型から弱く広がったディフューズ型まで数10kRから数10Rの範囲にありますが、月明りから星明りあるいはそれより暗く、最近では高量子効率のCCDやチップ上で電子増倍も行うEM-CCD等で高時間分解能の画像が得られています。
私は、電気工学教室に移ってから、知能化計測研究の一環として、地上観測画像からオーロラ発光高度や構造をCT(計算トモグラフィー)の技法を用いて復元する研究を始め、極地研の江尻全機さん(昭40卒)と共同で南極でのオーロラ立体観測データ解析やアイスランド・ステレオ観測を、さらに1995年3月にはスウェーデン・キルナのスペース物理研究所で建設途上にあったALIS
(Auroral Large Imaging System)と共同で初の多点観測を行いました。 ALISは、広域多点オーロラ撮像システムを通信線を介した計算機ネットワークにより制御すると言う当時としては新しい試みであり、我々のサイトは学生の浦島智君(平5卒)などと交代で観測ハットにもぐり込み観測を行いました。極地研究所に移ってからも共同研究を続け、現在全サイトが自動化され、日本の「れいめい」衛星等と連携した上下からの同時観測が進められています。オーロラは電離や宇宙雑音の吸収を伴い、これらを統合して降下粒子のエネルギー分布に遡って推定する一般化トモグラフィ研究に発展しています。
キルナから宮脇俊三氏の書で知られる欧州最北端の鉄道で3時間、国境を越えてノルウェーのナルビクへ、そこからバスで4時間余北上しトロムソに着きます。町からフィヨルド沿いに東へ約30km行くと後述のEISCATレーダーサイトがありますが、ここの光学ドームにはイメージャーを設置しレーダーと連携した観測を行っています。トロムソから、国内航空ブローテンで1時間半北に向かうとスバルバール島嶼スピッツベルゲン島に着きます。ここはわが国も原署名国である1920年のスバルバール条約で、南極と同じように観測が行えます。北緯78度の極北の地で、90年代にはおよそ100km北のニーオルソンまで海氷上をスノースクーターで行けましたが、近年は年を通して凍結しなくなったそうです。光学観測の拠点であるオーロラステーションは32のドームを持ち、太陽風から粒子が直接地球に侵入する高緯度帯のオーロラを観測する全天カメラや地球上で最も低温となる夏季の中間圏界面(高度90q付近)の温度を調べる大気光スペクトロメータなどとともに、われわれのオーロラスペクトログラフも2000年以降、酸素イオンの発光から大気からのイオン流出につながる研究に寄与しています。また、宇宙雑音の吸収から電波でオーロラを見るイメージングリオメータを極地研の山岸久雄さん(昭48卒)がデンマークと協力して設置しています。同じオーロラ帯にあるアイスランドは、昭和基地の地磁気共役点に対応し、南北オーロラの違いからその生成メカニズムを明らかにでき、両極でオーロラが同時に観測される3月、9月に観測が行われます。
超高層大気レーダー事情
会員諸氏にはなじみ深い京大のMUレーダーはそもそもは電離層プラズマの熱的ゆらぎによる散乱エコーから、その密度・温度などを観測するIS(“ほぼ”非干渉散乱)レーダーで、MW級の大電力送信機と微弱なエコーを捉える大型アンテナがその特徴です。米国が60年代初頭にペルーのヒカマルカやプエルトリコのアレシボに建設したのに対し、ヨーロッパでは、英、仏等での研究に続いて、欧州共同でオーロラ研究を目的とするEISCAT(欧州非干渉散乱)レーダーの建設が計画されていました。このレーダーを日本に作ろうというプロジェクトが加藤進先生のリーダーシップの下で始まり、木村磐根先生や深尾昌一郎君(昭42卒)と早朝の勉強会を始めたのは1975年のことです。MUの建設から赤道レーダーへの発展は、同君により本会報218号に詳しく述べられていますが、時恰も50MHzのヒカマルカISレーダーにより中性大気の乱流に捉えられた束縛電子からのエコーが得られることが実験から知られ、MUレーダーや1桁小さい50MHz帯MSTレーダーによる中層大気研究発展の端緒となりました。EISCATレーダーは1981年にスカンジナビア北部に完成しましたが、トロムソのVHFシステムに加え、スウェーデン、フィンランドに受信点を持つUHFトライスタティックシステムとなっています。その後スバルバールにUHFレーダーを建設することとなり、名古屋大学と極地研究所が日本を代表してEISCATに参加していました。私は少し遅れて極地研側の担当として着任し、共同研究などに関わりましたが、EISCATレーダーは地上、衛星と連携し、北極超高層観測の重要な一翼を担っています。極地研究所では南極にMUに比肩する大型大気レーダーを設置する計画が検討されています。
北極のMSTレーダーは、この草分けであったドイツのSOUSYレーダーがスバルバールで、またキルナ、トロムソ、南極ではオーストラリア、スウェーデン基地で、温暖化に伴う上層大気の寒冷化にかかわる夜光雲に関連したPMSE(極中間圏夏季エコー)の観測を行っています。南北両極には極地研や名大の小川忠彦君(昭42卒)も関わってきたSuperDARNというHF帯レーダーネットワークがあり、電波が屈折することからプラズマの対流を広範囲に捉えますが、PMSEエコーも標的です。これらの観測では、PMSEは北極の方が観測される頻度が高いとも言われ、レーザーレーダー観測で見られる冬季の極域中間圏界面温度の南北の違いの有無と共に、南北両半球の地勢の違いが大気波動を介して循環の形ではるか高層まで影響しているとの推測もありますが、まだ良くわかっていません。
大気に飛び込んでくる流星が高度90q付近に作る電離飛跡の動きから風を計るレーダーが、電力が更に1桁小さい流星レーダーです。MUレーダー計画に歩調を合わせ、大気潮汐の研究とレーダー観測の実践のため、流星レーダーの設置が計画され、私は信楽の国有林内のレーダー建設に津田敏隆君(昭50卒)ほか多数の学生とともに当たりました。極地研に赴任後は、EISCATのある2地点で流星レーダー観測を始めました。スバルバールでは2001年3月酷寒の中北極クマの来訪を警戒しながら堤雅基君(平2卒)達と設置し、トロムソでは2003年以降、共に観測を続けています。このレーダーも信楽当時と違ってコンパクトな既製品が世に出ており隔世の感がしたものです。
おわりに
オーロラは地球磁場と大気という人間の生存に必須の因子と同じ条件で生じ、太陽―地球系のいわゆる宇宙天気予報のシグナルとしても興味深いものです。一方、温暖化に対応した上層の寒冷化は、超高層観測にもそのシグナルが見え隠れしており、また上層から下層大気、オゾン層への影響なども指摘されています。今後も地道な極域観測がわれわれの地球の未来を少しでも照らすことができればと念じています。
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図1 オーロラトモグラフィによる3次元再構成結果例 |
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図2 スバルバール流星レーダーアンテナとSOUSYレーダーアンテナ配列の一部(左) |
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