同窓会だより
洛友会会報 227号

 
電気・電子33年卒業同窓会報告

 昨年、京都で開催された卒業50周年同窓会に続いて、本年も神戸地区在住の幹事、潮崎、馬場、河村および協力していただいた多くの方々により、9月29日、30日の両日、阪神大震災と明石海峡大橋を目玉として開催され、遠くは北海道、九州からも含めて前回を上回る32名が集まり盛会裡に終了した。
 当日は新幹線の新神戸駅およびJR三宮駅に集合、貸切バスにてメリケン波止場に移動、神戸ビーフ、蛸めし、明石焼き、地ビールなど、ご当地アラカルトの昼食。 そのあと、2時間にわたり、2班に別れ、ポートタワーからの神戸市の復興、発展状況を眺望、震災当時に崩れ落ちた岸壁が当時のまま保存されている神戸震災メモリアルパーク、三菱重工が中心となり開発した電磁推進船「やまと」、川崎重工が開発したテクノスーパーライナーAのプロトタイプである毎時70Kmの「はやて」など、また一般の方にも開放されている企業展示博物館であるカワサキワールドでゼロ系新幹線車両、ヘリコプタなど川崎重工の陸海空の製品の現物試乗を含め、模型、写真などの展示を楽しんだ。
 その後、バスにて宴会場および宿舎のシーサイドホテル舞子ビラ神戸に移動した。途中、近くの舞子公園に立ち寄り、明石海峡大橋の技術の集大成が展示されている「橋の科学館」、大橋下部の海面上約47メートルの高さに設けられ、高所恐怖症の人には足のすくむような足元がガラス張りの「舞子海上プロムナード」を散策し、続いて神戸の華僑や元川崎重工社長松方幸次郎らが支援した中華革命の立役者で、台湾、北京の双方からも顕彰されている孫文ゆかりの「孫文記念館(別名、移情閣、通称 六角堂 ← 実際は八角形)」を見学した。
 午後7時より近くの兵庫県最大の古墳である五色塚古墳にちなんで名づけられた舞子ビラ別館「五色の間」にて会席膳による宴が開かれた。
 冒頭、この一年の間に亡くなられた故森雅英氏、八木晋一氏への黙祷の後、宴に入り、小山和男君の河内音頭、山本康喬君の漢字の音符研究についてのスピーチなどを挟んで盛り上がった。
 二次会を含めて夜遅くまで、明石海峡大橋(別名パールブリッジ)の夜景、30分ごとに変化するイルミネーションを眺めつつ歓談した。
 翌日は希望者22人により明石海峡大橋を貸切バスで対岸の淡路島へ渡った。野島断層など震災の傷跡/記録が生々しく残されている震災記念公園を見学した。震災時に約1メートル動いた野島断層の痕跡、多数の震災記録写真、散乱したままの家具、台所の状況など、また、震度7を含む激しい揺れを全員約1分間近く体験、とっさの時の対応の心構えなどを心に刻んだ。続いて、鳴門岬まで足を伸ばし、鳴門みさき荘で名物の海鮮料理に舌鼓を打ったあと、大鳴門橋下部にある幻の新幹線線路予定通路からの観潮、その後、淡路人形浄瑠璃資料館で人形浄瑠璃の詳しい説明、浄瑠璃人形との記念撮影などを楽しんだのち、全行事をつつがなく終了して帰路につき、新神戸駅でまたの再会を約して解散した。折から、当日早朝に発生したサモア地震のため鳴門地区には津波注意報が発令され緊張が走ったが、かえって今回のいろいろの見学をより印象付け、今回の見学/観光を通じて、東南海地震など、近づきつつあると言われる震災の恐ろしさ、心構えの必要性を身近に感じたのではないかと思う。
 なお本メモ、および参会者が撮影した写真は昨年と同じく喜利氏作成の「京大電気・電子33年同窓会ホームページ」に アップロードされており、各自が必要なものをダウンロードすることができる。
 また今回より、会員への同窓会の案内、連絡類は原則として電子メールを使用した。
 以 上  (33年卒 河村吉久記)

 



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